1938〜1957年


 1938年6月24日(寅年) 大阪市東淀川区の新大阪駅近くの被差別部落(日之出地区)でタバコ、日用品を扱う上田商店の次男として生まれる。兄、弟、妹2人の5人兄弟。
 1945年の大阪大空襲で隣の家に爆弾が落ち、店は全壊する。危機一髪のところで命は助かるが、着のみ着のまま一家は焼け出される。
 この時の生死をさまよう体験が、戦争の恐ろしさを身に染み込ませることになる。
小学校時代:大阪大空襲

小学校時代:靴磨き  日用雑貨店の息子だけあって小さい頃から店の手伝いをしており、商売に馴染むきかっけとなる。小学生の頃から靴みがきなどをして家計を助ける。

 1950年 の小学校六年(大阪市立西淡路小学校)の時、近畿地方を襲ったジェーン台風によって再建した家が再び全壊。また同年、働き者の父親が結核により42歳で死亡。母親も病気がちになる。
 少年とその兄は「単語カード」やたばこ卸しなど様々な商売をして必死で家計を支える。その頃珠算3級をとり、子供ながら商売の面白さに興味を持つようになる。小遣いは自分で稼ぎ、あまり不自由はしなかった。
単語カード卸

扇町第二商業高校時代  将来はでっかい商売をやって、母や妹たちを楽にしてやろうと夢がふくらむ。まじめに勉強するようになったのはこの頃からである。地元の中学校(大阪市立淡路中学校)を卒業後、昼間働きながら大阪市立扇町第二商業高校(定時制)に通う。楽ではなかったが、学ぶことは喜びであり生きがいだった。
 その頃、「日之出青年会」という地域の青年活動を通じて部落解放運動と出会う。
1958年に扇町第二商業高校を卒業。